「唐薯武士」(海音寺潮五郎)

作家としての苦渋の表現だったか

「唐薯武士」(海音寺潮五郎)
(「日本文学100年の名作第3巻」)
 新潮文庫

軍に加わって
戦争に行くという隼太を、
敏也は笑い飛ばす。
隼太は十五にはなるが、
背も低いし痩せて力も弱い。
みすぼらしい家に
たった一人で住んでいる
少年なのだった。
敏也がそれを家で話すと、
父は静かにたしなめる…。

ここでいう戦争とは、
西南戦争のことです。
隼太も敏也も薩摩藩士の息子です。
ところが隼太は父親に死なれて、
貧しいひとり暮らしです。
今でいう「子どもの貧困」です。
しかし、志はすでに武士として
一人前の精神を持っているのです。
錆びた刀を研ぎ下ろした隼太は
兵役を志願します。
門前払いを喰うのですが、出陣の日、
隊列の最期に加わり、
堂々と行進していきます。

さて、本作品の読みどころは、
「父の一言」と「母の無言」にあります。

「笑うてよかことかな。
 わしは感心なもんと思う。
 武士はそうなくては
 ならんもんじゃないか」

敏也をたしなめた父親の一言です。
隼太の武士としての殊勝な心がけを
息子に諭しているのです。

本作品執筆は昭和14年。
日本が戦争に向かって
突き進んでいた時期です。
本作品は、
貧しい少年が一人の侍として
戦に加わる姿を賞賛した、
戦意高揚のための
プロパガンダと見ることができます。

その戦争へ敏也の父と兄も参加します。
その日の朝、父と兄の勇士に
気持ちが昂ぶる敏也に対し、母は…。

「敏也は踊りだそうとしたが、
 途端に、その手を後ろから
 きびしく摑まれた。
 母は、恐ろしい眼で
 敏也をにらんで、
 ぎゅっと手を抓った。
 これまで敏也の
 見たことのないほど
 凄い母の眼だった。
 そのくせ、母は
 真っ青になってふるえていた。」

そうです。本作品は、
戦に昂奮する息子を
無言で叱りつける母親の姿を借りて、
戦争を厳しく指弾した、
れっきとした反戦小説なのです。

母親から恨み言めいたことを
口走らせれば、時節柄、
発表できなかったのでしょう。
かといって何も書かなければ、
誰にも何も伝わりません。
無論、軍部の提灯持ちを
するつもりもなかったはずです。
資料を調べたわけではないので、
詳しくはわからないのですが、
作家としての苦渋の表現だったと
推察されます。

海音寺潮五郎、お涙ちょうだいの
人情時代劇作家ではありませんでした。
歴史と人間を冷徹に見据えた作家です。
本作品、お薦めです。

(2019.11.8)

Günther SchneiderによるPixabayからの画像

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